代表挨拶

ご挨拶

この度、病いとともに生きる人が“その人らしく生きる”ことを支えるための看護実践および研究を支援する拠点として、株式会社おとのみ「ライフサポート看護研究所」を設立いたしました。
病いとともに生きる人が“その人らしく生きる”ためには、医療ケアや療養生活について、自分の意思を大切にして決定する自律(autonomy)が大きな鍵となります。そして、看護にはその意思の形成、表明を支援し、医療関係者とともに本人にとっての最善をともに考える意思決定支援が求められています。その意思決定支援に関する看護の実践と研究に関して様々な方法でサポートいたします。

代表 阿部利恵

代表プロフィール

1968年 福岡県筑紫野市に生まれ
1990年 国立福岡中央病院附属看護学校卒業、虎の門病院分院勤務
1993年 福岡腎臓内科クリニック勤務(1997年~看護師長)
2003年 日本赤十字九州国際看護大学成人看護学助手
2005年 人間総合科学大学人間科学部人間科学科卒業
2008年 日本赤十字看護大学看護学研究科修士課程修了
2017年 日本赤十字看護大学看護学研究科博士後期課程修了
2018年 淑徳大学看護栄養学部看護学科基礎看護学助教
2019年 NPO法人日本看護キャリア開発センター非常勤主任研究員
2025年 株式会社おとのみライフサポート看護研究所代表

<資格・学位>
・看護師
・臨床倫理認定士
・看護学博士

<主な社会活動>
・一般社団法人日本腎不全看護学会第2期、第3期代議員(2025年社員総会まで)
・日本慢性看護学会評議員(2027年3月末まで)
・透析ライフサポート看護研究会代表

<所属学会>
・一般社団法人 日本腎不全看護学会
・日本慢性看護学会
・日本赤十字看護学会
・公益社団法人 日本看護科学学会
・日本臨床倫理学会
・日本エンドオブライフケア学会
・一般社団法人 日本アドバンス・ケア・プランニング研究会

<主な研究活動>
・阿部利恵(2017).終末期ケアに携わる透析スタッフのためのピアサポートの展開とその意味:アクションリサーチを通して.日本赤十字看護大学看護学研究科博士後期課程学位論文(2017年度).
・阿部利恵(2013).血液透析施設に勤務する看護職者の死生観と関連要因.日本腎不全看護学会誌,15(2)66-74
・阿部利恵(2008).血液透析施設における「透析仲間の死」-看護職者がとらえた透析者と看護職者自身の反応に関する調査-日本赤十字看護大学大学院看護学研究科修士課程学位論文(2007年度).
・下山節子、水町淑美、阿部オリエ、田中利恵2005).腎不全看護におけるQOL研究の動向と今後の課題.日本赤十字九州国際看護大学Intermual Research Report4号,118-127
・許斐真弓、下山節子、田中利恵、平川オリエ、高柳恵子、田中圭子(2004).外来血液透析者のQOLの実態とその阻害因子.日本腎不全看護学会誌,6(2)89-94
・許斐真弓・下山節子・田中利恵・平川オリエ・高柳恵子・田中圭子(2003).外来血液透析者のQOLの実態.日本赤十字九州国際看護大学Intermual Research Report2号,165-176

<主な著書>
・阿部利恵(2021).アドバンス・ケア・プランニング.日本腎不全看護学会編,慢性腎臓病看護第6版所収(pp.94-99),医学書院.
・阿部利恵(2021).アドバンス・ケア・プランニング. 日本腎不全看護学会監修, CKD保存期ケアガイド所収(pp.137-142),医学書院.
・阿部利恵(2021).看護実践を共有する(1)看護実践を事例報告へ言語化する.臨床透析,40(11),11-19.
・阿部利恵(2021).ターミナル期にある透析患者に対する意思決定支援の実際.臨床透析, 33(11),73-80.
・阿部利恵,水町淑美(2014).患者の意思決定支援のポイント.透析ケア, 20(11), 12-28.

「ライフサポート看護研究所」設立に至るまで
 国立福岡中央病院附属看護学校卒業後は、虎の門病院に就職し、分院の手術室に配属されました。虎の門病院分院の手術室では、慢性腎臓病の患者さんの血液透析導入のためのバスキュラーアクセス造設術や生体腎移植に携わる機会が多かったこともあり、離職後は福岡に戻って福岡腎臓内科クリニックに勤務して、透析看護に従事しました。当時このクリニックには、透析歴20年以上の患者さんが大勢通院されていて、その患者さんたちから叱咤激励されながら血液透析看護について多くを学ばせてもらいました。その中で、ある長期透析の患者さんからの「最期はここで死にたい」という思いに応えられなかった後悔が私の心に残り続け、もっと看護を学びたいという思いに繋がっていきました。
 その後、通信で大学に編入したことを機にクリニックを退職し、縁あって日本赤十字九州国際看護大学で成人看護学の助手として基礎教育に携わりました。また、結婚を機に東京へ転居することになり、日本赤十字看護大学看護学研究科修士課程、博士後期課程に進みました。大学院での研究は、心に残り続けた“透析患者さんの最期への思いを支えられなかった”という後悔が出発点となり、透析患者さんの終末期ケアに関する研究に取り組みました。
 博士後期課程在学中には、義父母が相次いで癌を患い、福岡と東京を行き来しながら二人に寄り添い、そして看取るという経験もしました。数年間休学しながら、博士後期課程修了後は千葉にある淑徳大学看護栄養学部に勤務しましたが、1年経った頃から極度の倦怠感に見舞われるようになり勤務することができなくなってしまいました。症状の原因がわからず、退職を余儀なくされ福岡に戻りました。様々な診療科を受診し、民間療法を試しながら、福岡ではNPO法人日本看護キャリア開発センターで非常勤の職を得て、中小規模病院に勤務する看護師の看護研究支援を中心に病気療養しながら働きました。3年程して、下垂体の機能が低下していることが原因であることがわかり、ようやく治療の光が見えてきました。
 臨床での後悔、大学院での研究や義父母の看取り、自分自身の病気の経験を通して、病いとともに自分らしく生きるとはどういうことなのか、それを支える看護について考え、研究会での事例検討や研究を通して現在も意思決定支援を大切な芯に活動しています。
 また、所属していたNPO法人日本看護キャリア開発センターが2024年度末で閉業するのを機に、今後の活動の基盤として株式会社おとのみライフサポート看護研究所を設立しました。
RETURN TOP